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お知らせ

そのほか 2022.01.07

ユニバーサル就労支援センターを利用しているサトウです。

こんにちは、サトウといいます。突然ですが、「ユニバーサル就労支援センター」は、どんなところかご存じでしょうか?ユニバーサル就労支援センターは、「働きづらさを感じている人を支援する」場所です。私も働きづらさを感じ、悩んだ末にセンターでお世話になっています。センターに通い、いろんな就労体験を経た結果、現在ライターを目指して頑張っています。このブログは、ライターとして活動するための練習の場として借りています。

私がライターとして頑張ろうと思えるまで、3年かかりました。私がセンターに来る前、何に悩み苦しんできたか、どんなきっかけでここに通い始めたかを書いていこうと思います。

【就労支援センターに来る前の話】

私は高校進学後、大学に進学しました。当時は保育士を目指していたので、毎日頑張って勉強していました。しかし、高校3年生のときに診断されたPTSD(心的外傷後ストレス障害)とうつ病の発症により、学校生活を送ることが困難に。結局私は、大学を休学した後に辞めてしまいました。

それから1年間自宅で療養し、21歳のときにコンビニアルバイトを始めました。
「今度こそ頑張るぞ」と思ったのですが、うつ病は完治していなかったため、たくさん苦しむことになりました。

例えば、職場の人間関係。私がアルバイトしていたコンビニは、家族経営でした。家族ならではの絆やルールがある環境にやってきた私は、他人です。職場の雰囲気に馴染むことができず、毎日とても苦しみました。
私は、PTSDの症状により、些細な音に敏感です。特に、人の怒鳴り声は苦手でした。コンビニにはいろんなお客さんが来ます。なかには大きな声を出す人や、仕事が遅いと怒鳴る人がいます。そのお客さんが来るたびに、ビクビクしながら接客していました。

コンビニアルバイトは、出勤する時間がバラバラです。朝6時に出勤し、朝10時に帰宅。翌日は午後2時に出勤し、午後11時に帰宅。その次はお昼11時からと、生活リズムがバラバラでした。
夜あまり眠れない状態のまま、朝6時に出勤する日は、精神的に辛かったです。「早く退勤時間にならないか」と、なかなか針の進まない時計を見ていました。

働いて一番辛かったのは、精神疾患の理解不足です。私は、2011年に起きた東日本大震災がトラウマであり、PTSDを発症したきっかけの出来事です。3月11日が近づくにつれ、私の体調は崩れます。
当日は頑張っても働けないと考えた私は、「3月11日だけどうしても休ませてほしい」とオーナーに伝えました。しかし、休ませてはもらえませんでした。それをきっかけに、私は情緒不安定になり1、2週間ほど寝込んでしまいました。

それから4カ月ほどコンビニで頑張りましたが、挫折してやめてしまいました。すぐに別のアルバイトを始めましたが、人間関係と精神疾患の理解不足が辛くて、やめてしまいました。

「これ以上仕事を続けられない」
「一般企業で働くことができない」

そう判断した私は、陸前高田市役所で相談しました。障がい者雇用の施設を回ったり、相談施設で相談をした結果、就労支援センターを紹介されました。

【現在、就労支援センターにて】

センターを紹介され、通い始めてから3年が経ちました。スタッフの方と一緒に、「私はどのように社会復帰をしていくか」を考え、就労体験をしてきました。

3年前は、周りの大人のように働けずに悩んでいました。だけど就労支援センターに通ってから、私の気持ちは変わりました。
私は、スタッフさんと相談し、在宅でできる仕事を探しました。そこで見つけた仕事が、文章を書く仕事です。スタッフさんの協力のもと、私は就労支援センターを通して企業から文章を書く仕事を受けています。

文章を書く仕事は、直接人と関わりません。主に電話やチャット、メールのやり取りです。大きな音がしない静かな環境で、自分のペースでできる。職場の人間関係に悩むことがなく、体調が悪ければ休むことができる。この働き方は、私に合っている。
そう判断した私は、スタッフさんの協力の下、ライターを目指して記事やシナリオを書いています。

【将来の目標について】

現在私は、就労支援センターの協力をもらいながら、仕事をしています。まだ健常者のように、社会で働く力はないからです。私の苦手な対人関係を克服し、ライターとして生活していくこと。それが、私の今の目標です。そのために現在、クラウドソーシングにて仕事を受注したり、就労支援センターを通じて仕事を受注したりしています。

今回書いたブログは、ライターとして活動する練習として使用させていただいております。これからも就労支援センターのブログを更新していきますので、よければ見て行ってください。よろしくお願いします。